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どうでもいいこと

2022.74

 

得るものが増えれば増えるほど、豊かじゃなくなっていく気がする。贅沢な悩みだけど、最近そう思うことが増えた。

いつもなりたい自分や、理想の自分がいて、そうなる為には、今自分に無いものを補っていって、そうやって足りないものさえ埋まれば満足いく自分になれる気がしていた。でも、そうやって色々挑戦してみても、実際は何も変わらないことも多かった。もちろん、変わったことや良かったことはあったけど、結局、なりたい自分には、全然なれてない。

じゃあ、一体どうしたら、なりたい自分になれるんだろう。完璧に理想像になるなんて無理だって分かっているけど、だからといって、今のままで良い訳じゃない。これは完全に自己満なんだろうけど、出来る出来ないに関係なく、理想の自分を追い続ける必要は、常にあり続けるんだ。

でも、色々補って分かったことは、大人になった自分が今持ってない物のほとんどって、今まで自分が選んで来なかったもの。それって、優先してこなかったってことだから、自分にとってそこまで重要じゃない物の方が多い。そんなものを今更補ったくらいじゃ、大して何も変わらないし、隣の芝は青く見えるのと同じなのかもしれないって。

何かを上乗せしたり、増やしたり、そういうのだけが大切ではないってことだよね。足し算で解決しようなんて、陳腐なんだと思った。大人になったら、今持ってるものや、自分自身の中身とか、そういう物を見つめて磨く必要があるのかもしれない。学生の頃、そんなの綺麗事って思ってた言葉達が、今になって染みてくる。なんか恥ずかしくて、ちょっと悔しい。

そうやって自分を見つめ直した時、自分が1番補いたいものって、なりたい自分って、やっぱり、自分で選ぶことが出来なかったものなんじゃないかなって思う。例えば、家庭環境とか、容姿とか。

生まれ持った環境や容姿は、自分では選べなかったし、それで嫌な気持ちになったり、恥ずかしくなったり、悔しくなったり、今も昔も何かしらある。小さい頃は、それで人を羨んだり、自分に自信を無くしたりすることしかできなくて、凄く無力だったけど、大人になってからは、自分で変えていけることが多くなったって感じる。

未だに反吐が出ることや、後ろ髪を引かれる気持ちになることもあるけれど、そういうもののせいにするんじゃなくて、満足がいってないなら、満足出来るように自分が頑張ればいいだけだし、そういう風に、変わっていきたいな。大人になったから、そう変わっていけるんだよね。

そう思うと前向きになれるし、あんまり過去のことを考えないようになった。別に対した過去ではないけれど、大きさや形じゃなくて、きっと自分の中の嫌だったって気持ちは、誰だって少なからず、足でまといになるものだよね。

そう思うからこそ、自分はどんな人のどんな嫌な気持ちも分かってあげたいって思う。辛さや悲しさなんて、比べようがないから。出来事とかそういうので比べてしまったら、大したことない大したことあるとか、あるかもしれないけど、見る角度にもよるし、そういうの無しで向き合える人になりたいなって。実際難しいけど、そういう心は、なるべく持ち合わせていたい。

 ちょっと話が逸れるけど、大好きな坂本真綾さんの歌の歌詞に「君が流す涙 拭うためだけに 僕はここにいるよ」って歌詞があるんだけど、凄く共感するっていうか、自分に近いものを感じる。

笑顔にするよとか幸せにするよとかじゃなくて、涙を拭うためだけってすごく消極的だけど、自分が人にしたい思いやりや気遣いって、こんな感じだなって思う。

  最近思うことがもうひとつある。

自分は、って話だから他の人がどうとかいう話ではないんだけど、病むってめちゃくちゃ欲深い行為な気がしている。病んだ時、なぜか自分だけ辛いとか、自分はめっちゃ悲しいとか、自分だけこうだ、的な感じで思ってしまうこともある。でも、絶対幸せなこととか嬉しいことも日々あって、なのに、それよりも辛いことだけに視点がいってしまうのが貧しいなって。

そりゃ確かに、理不尽なことは沢山あるし、事件とかニュースになるようなことはまた違うんだろうけど、日常生活を普通に送れている中での病みは、きっとその中の小さな幸せに満足できなかったり、気づけなかったり、棚に上げて辛いことばっか見ていたり、そういうことも多いんじゃないかなって思う。

病めば病むほど、どんな小さいことでもしんどく思えるように、きっと考え方を変えれば、どんな小さいことにも幸せを感じられるはずなんだよ。

それが欲張りになっちゃってるなって。

だから、やっぱり、こはるは謙虚に生きていきたいよ。どんなことにも感謝して、どんなことにも嬉しさを見つけたい。得れば得るほどいいって訳じゃなくて、得たものの中から、何を感じられるかや、何を見つけられるかなのかなって。きっとそれが出来てこそ、得るものが多いほど豊かって訳であって。まずはそこからなのかなって思う。

 結局、最初の話に戻るけど、得るものが多いほど豊かに感じられなくなるのは、そうして量が増えると、小さいことに目をやる時間が無くなってしまうからなのかなぁ、って思う。

こんな小さな人間の体で、持てるものには限りがあるから、こはるは多くなくていい、豪華じゃなくていい、本当に大切なこと、もの、ひとをちゃんと守れればそれでいい。見失わないように、ちゃんと守りたい。ちゃんと大切にしたい。みんなこともそう思ってる。

こはるは、大切って思うものはいつも同じで、結局色々悩んでも、誰かが喜んでくれたら嬉しいし、好きな人は喜ばせたいし、誰かを悲しませたくないし、嫌な思いもさせたくない。嫌われたくもないしね。

そういうごく当たり前な所に戻ってくる。

日々生きていると、どんどん枝分かれして考えとか膨らんでいくけれど、そうするとどんどん迷宮に迷い込んでいく。こはるは、本当に器用じゃないから、そうなってくると本当に大切なものを見落としてしまう気がする。

シンプル、シンプルでいい。

ありがとうとごめんなさいと、謙虚と尊敬と思いやりと努力と……クソ真面目かよって感じだけど、これでいい。

それ以上あんまり沢山になると、ただの傲慢な人間になってしまいそうです。もう既にこれだけでも、じゅうぶんすぎて傲慢な気がする。


人前では強がって、あと恥ずかしさもあり、これからも偉そうなこと言ってるかもしれないけど、結局こはるの中身なんてこんなもんです。

周りからはどう見られても、自分だけは、それを忘れないでいる。


何かをただ得るだけの、陳腐な人にはというか、そういう生き様には、なりたくないなって思う。

ちゃんと中身のある人になりたいし、そうやって、有難いことに自分が何かを得させて貰えるなら、それをちゃんと大切にしたいし、それがどれだけ素晴らしくてありがたいことかを、ちゃんと理解していたい。ただ得るだけじゃダメな気がする。ただひたすら何かが増えていくだけの虚しさを感じたくない。

こうやって書き残すと、忘れないでいられるし、言葉に残すとより責任が生じる。だから、ブログを書くことで、こはるは自分に発破をかけている。

いつでも見返して、ブレない自分でいたいな。

こはるは1人では本当に何も出来ないから、色々な人に支えてもらってる。それを忘れちゃいけないし、本当に感謝してます。

このブログを読んで、みんながどう思うかは分からないけど、少しでも何かしらの気持ちが生まれてくれたら嬉しいなと思う。

自分の考えを整理しつつ、また書くと思うので、相変わらず長いと思いますが、機会があれば読んでください。

読んでくれてありがとうございました!